「油山に登ってみよう」高名康文先生 ~“Novis2005”より~
2006/03/23
フランス文学 高名 康文
^城南区の小中学校出身の人たちならば、一度は学校の行事で油山に登っていることだろうが、そうでない人たちの方が多いだろう。せっかく学校のそばにある山なのだから、一度は是非登ってみよう。とはいえ、あまり春夏秋はよろしくない。蝮(まむし)が出るらしいし、日射病も心配である。冬も寒さの少し柔らんだ梅の花の咲く頃がよろしかろう。
^名前の安易さや、アクセスの容易さに騙されてはいけない。標高は五百九十七メートルある。福岡大学の標高が何メートルあるかはよくわからないが、海岸とさほどの変わりはないだろう。標高が示しているメートル分だけ、しっかりとあなたの足であなたの体を運んでいかなくてはならない。だから、水筒とチョコレートなど甘いものは忘れないようにしてもらいたい。
^赴任した当時、そんなことも知らずに徒歩で片江展望台までのぼり、どうせ大したことはなかろう、と革靴で山に入っていったところ、靴は二度とは履けない代物になってしまった。下から見て「あそこが頂上か」と思っていたところの奥に延々と山並みが続いていて、木立がどんどん深くなる。地図を見ればわかることであるが、油山は「山塊」という言葉のふさわしい深い山である。幸い、登山中ではなくドライブ中であったが、私はあそこで猪にも日本猿にも遭遇したことがある。こいつらに襲われることが心配ならば、鈴などを携帯して常に音をたてておくことだ。そこに人間がいると分からせておきさえすれば、近づいてくることは滅多にない筈だ。
^あなたもいくつかの偽のピークに騙されることになるだろう。「あそこまで登れば」という期待を何回も裏切られた挙句、風景が開けて道は一旦下りに入る。ここであなたは山の深さをも実感することであろう。最後の一頑張りを強いる斜面が構えている。うんざりとするかもしれないが、今度は疑わなくてもよい。それが山頂である。
^あなたが山頂から見る福岡市の風景や玄界灘の大海原を期待しているのだとすれば、多分その期待は裏切られるだろう。油山の山頂は木に覆われている。「多分」というのは、私が最後に登った時には、どこかの登山会がご丁寧にも電気のこぎりで山頂の木々の枝を切り倒していたからで、私の希望的観測どおりにことが運んでいるとすれば、木々たちは蘇生しているだろうからだ。
^さて、山に登ってしまったら、今度は下りに入るわけであるが、同じ道を通るのはつまらないから、油山市民の森に下ることにしよう。ここには、梅の木がたくさんある。梅の花の咲く時期を進めるのはこのためである。
^元気のありあまったあなたであるから、是非油山牧場に足をのばしてもらいたい。搾りたての牛乳を一杯飲んでから車に気をつけてアスファルトの道を帰ることにしよう。町まで下りたらお腹が空いていることだろうから、ラーメン屋に入るのもよいと思われる。
^山頂からの展望は望めないから、その後もう一度登ろうという気になることはないのかもしれないが、学校からいつも見える山なのだから一度ぐらい登ってみてもいいだろう。ただし、浮浪者もいるらしいから、女性が一人で山に入っていくことは厳に慎むこと。