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「「レポート」が書ける人になろう」上枝美典先生~“Novis2005”より~

2006/02/20

西洋哲学史 上枝 美典

^ここだけの話、レポートが書ける日本人はとても少ないのです。ほとんどの人は、感想文しか書けません。しかし、感想文とレポートの違いは、とても大切です。これがわかっているかいないかで、人間の質が違うといっても言い過ぎではありません。ちょっと言い過ぎかもしれませんが。しかし、そのくらい大切な違いであると私は言いたい。

^はっきり言って、大学で勉強するということは、「感想文しか書けない人」から「レポートが書ける人」にレベルアップすることなのです。知らなかったでしょう?しかし、知らなかったからといって、恥じることはありません。なぜなら、この違いを教えるシステムが、日本ではまだちゃんとできていないからなのです。つまり、日本で通常の教育を受けて、高校を卒業しただけの人は、まだこの違いを習っていないのです。なんとなく、大学に進学してよかったな、という気分になってきたでしょう?

^では、感想文とレポートの違いは何でしょうか?もったいぶらずに早く教えてくれ、というあなたの顔が目に浮かぶようです。ですが、それは秘密です。というのは冗談ですが、秘密にしたいほど、それは単純なことなのです。ひとことで言って、「感想文」は、自分が感じたことや考えたことを、そのまま書いたものです。あれっ?それって、いいんじゃないの?という声が聞こえてくるようですね。たしかに、そういう感想文を書かせることに、ある一定の教育効果があることはたしかでしょう。そういうのは、「作文」と呼ばれていて、日本の教育界ではいろいろとややこしいことがあるみたいです。しかし、断言しますが、大学で身につけるべきことは、「良い作文」を書く力ではなくて、「ふつうのレポート」を書く技術です。「技術「と言うと、なにか職業訓練所みたいですが、良い作文を書けるか書けないかは、ある程度、「文才」と呼ばれる文学的才能で決まりますが、「ふつうのレポート」は、書き方さえわかったら、だれでも書けるのです。なんといっても、「ふつう」でいいんですから。

^なにか話があっちこっちに飛んでいっこうに要点を得ない。おまえはレポートの書き方がわかっているのか、という叱責の声が聞こえてきそうですから、そろそろ本題に入ります。「作文」や「感想文」でない「レポート」とは、

1. あたえられた問い、あるいは自分で立てた問いに対して、
2. 一つの明確な答えを主張し、
3. その主張を論理的に裏付けるための事実的・理論的な根拠を提示して主張を論証する

という三つの要素がそろっている文章のことです。おっと急いで付け加えますが、この定義は、私があたえたものではありません。次の本からの抜粋です。

戸田山和久(2002) 『論文の教室:レポートから卒論まで』 (NHKブックス)定価:本体1120円+税

^私がここに書いていることは、ほとんどが、この本からの受け売りです。責任転嫁をするわけではないですが、ともかく、レポートや論文の書き方を教える本はたくさんありますが、まず一番はじめに読むべき本はこれです。どのようにすれば、この三つの要素がきっちりそろった文章を書くことができるのか、親切丁寧に教えてくれています。

^この本を読んで、「うひゃあ。みんなこんなことを考えて論文を書いていたんだ。まずい」と
焦った人は、巻末にある「おすすめの図書など」を見て頑張って追いつきましょう。たとえば次の本などは、安いのにとてもいい本です。どういう経緯で、自分が「レポート」の書き方を学ぶことができなかったのか、よくわかります。

木下是雄(1981) 『理科系の作文技術』 (中公新書)定価:本体700円+税

^「理科系の」というタイトルは、気にする必要はありません。むしろ文系・理系を問わず読むべき本です。あなたが文章を書こうとするときに、「ひとの心を打つ」「自分の気持ちをすなおに表現」「起承転結をしっかり」「天声人語の文章のように」とかいう言葉が頭に浮かんでくるのであれば、大急ぎでこれらの本を読んで、「文章を書く」「頭を使う」ということについての認識を改めてください。でないと、あとで大変なことになりますよ。

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