2009年懸賞エッセイ:入選作品 「仕事と私」浦辺登さん
2010/05/23
「仕事と私」
LG750309 浦辺 登
今春、昨今の事情から二十年余り勤めた会社を退職することになったが、通算すれば
社会人生活を三十年も過ごしていたことになる。七隈の地を巣立ってから三十年、
長いようで短いようで、振り返れば様々なことが有り、やはり短かったかなと思う。
昭和五十年(一九七五)、ベトナム戦争が終結した年に人文学部ドイツ語学科の学生と
なった。同じアジアに居ながらにして誠に平穏な学生生活を送っていたが、昭和五十三
年(一九七八)の夏、東西冷戦の象徴ともいわれる「ベルリンの壁」を超えた日から、
主義主張とはなんぞや、政治とは、人の幸せとはなんなのだと、実に青臭い考えにとり
つかれてしまって、現在に至っている。
ドイツから帰国しても、自分が見てきたこと、感じてきたこと、これを何とか表現する方法
はないものかと考えあぐねる日々だったが、卒業前は折からの不況で希望するマスコミ
関係の門戸は固く閉ざされてしまっていた。しかたなく、日々の糧を得るための道として
当座の仕事を選んだのだが、生まれつきの負けず嫌いからか仕事に没頭し、同期から
抜きんでることばかりを考えていた。よりよい給料、よりよい待遇、よりよいポジション、
そればかりを目指していて、いまだ長男からは「うちはずっと、母子家庭やった」と言われ
ている。
そんな生活を送っている平成元年(一九八九)の十月、自身の存命中には崩落すること
は無いと固く信じていた「ベルリンの壁」が崩落した。テレビ画面には壁が崩される様が
映っていたが、にわかには信じられなかった。「落ちた、落ちた、壁が落ちた」夕食の箸を
止めたまま、壁が倒される場面に釘付けだった。
その後、福岡の地を離れ、大阪へ、東京へと転勤になったが、この「ベルリンの壁」崩落
がきっかけになり、少しずつでも文章を書いてみようという小さな意欲が湧いてきていた。
原稿用紙に書いては丸め、書いては丸めの月日。投稿しては没、投稿しては没を繰り
返し、ようやく落ち着いたのがインターネット上に本の書評を出すことだった。会社と
異なる空間で、少しは世間の評価を得、自慢げに過ごしていた頃、ドイツ語学科の恩師
である稲元先生から「君はいつまで、他人の書いたものの批評を続けるのか。他人から
批評を受けるものを書いてこそ一人前のモノ書きだ」とお叱りを受けた。
幸い、書評を書き続けていた縁から今夏、一冊の本を上梓することができた。
偶然なのか必然なのか、会社を退職して間もなくのことだったが、いまや、文章で表現
したいと願っていたことが仕事となって目の前に登場した。今、思うに、仕事とは、自己
実現なのではと、三十年以上も前と同じ青臭い考えに満足している。