2008年懸賞論文:入選作品 「十年後の私」野本康彦さん
2008/07/29
十年後の私
野本 康彦
^十年後の私、というものに思いを馳せてみて思い浮かぶのは、国語の教師をしている姿だ。教団に立ち、生徒に教科書を朗読している私の姿。はたまた、生徒と雑談を交わしている姿。そんな姿が浮かんでは消える。
^私の夢は国語教師になることだ。私が教師を目指すようになったのは、中学時代の恩師との出会いがきっかけだ。先生は中学一年生のときの私の担任だった。小学六年のときに父を亡くした私は、中学入学だというのにその死を引きずり、心を閉ざしていた。そんな私を励ましてくれたのが先生だった。特に人より優れたところがあるわけでもなく、内向的になっていた私に、先生は優しく声をかけてきてくださった。
^私の書いた作文をほめてくれたり、俯いている私に声をかけてくれたり、いつも何かと気にかけてくれていた。
^けれども、一度だけ先生にひどく叱られたことがある。クラスの女子と、つまらぬ喧嘩をしたときのことだ。女の子の我の強さ、自分勝手さに我慢できなくなった私がぼそりと嫌味を言ったのだ。とにかくひどい言い争いとなった。その子のことを前からよく思っていなかった私は、屁理屈を言い、あろうことかその女の子を泣かしてしまったのだ。
^私と彼女は先生の元へと呼ばれた。先生は厳しい目を私たちに向けた。私は、先生の眼差しに少なからず驚いた。先生はいつも私には優しく接してくださった。私を励ましてくださった。その先生が何故私にこんな厳しい眼差しを向けるのか。それに、事の発端はといえば、相手にあるのだ。何故私まで怒られねばならないのか。どうやら、私は都合の良い思い違いをしていたようだ。
^先生は私たちの話を黙って聞いた後、それぞれの至らない所を指摘した。そのときに言われた言葉は、今でも覚えている。「いい。言葉っていうものは諸刃の剣なの。使い方次第で、人を温かな気持ちにもすれば、人の心に深い傷を残すこともある。野本君は、せっかく言葉で表現することが上手なんだから、もっと他人の気持ちを考えて言葉を使いなさい。どんなにいいことを言っても、どんなに理屈の通ったことを言っても、人を傷つけてはなんの意味もない。言葉は、人と人とが心を通わすためにあるものです。人に伝わるように、相手のことを考えて言葉を使いなさい」
^私は、はっと気付いた。私は、何を思い上がっていたのだろう。他人のことなど考えず、自分勝手な理屈を言い、自分の殻に閉じこもっていた。そう言葉とは、他人に向かって自分を表現するためにあるのだ。
^そして、先生はいつもとはうって変わって厳しい態度を取ることで、私に「本当の優しさ」「本当の愛情」というものを示してくださったのだ。 福大に合格したのち、先生に合格を知らせる手紙を書いた。教職をとり、国語の教師を目指すことも。先生は大変喜んで下さった。
^十年後、私はあの時の先生と同い年になる。私も先生のように、言葉の重みや、言葉の大切さ、生徒への本当の優しさや、本当の愛情を示せる教員になっているだろうか。