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2006年懸賞論文:入選作品 「愛国心」谷口圭さん

2007/03/23

愛国心

谷口 圭

^「愛国心」という言葉に、私は一種のバイアスがかかってしまう。だから、「愛国心とは、自分の生まれ育った国を大切に思う心です。」といわれても、素直に納得できない。では、なぜこの愛国心という言葉にこれほど敏感になるのか。それは、やはりこの「愛国心」が、戦争など様々な政治的意図に利用されてきたことが一番の理由である。そもそも、この「愛国心」にも使われている「国」の定義とはどう捉えられているのか。私は、個人個人によって様々であると思っている。ある人にとっては人の集まりであり、ある人にとっては国土や自然、文化であり、そして、ある人にとっては天皇のことであるとも考えられる。私の考えは、人がより生きやすい手段として集団を作り、その集団の秩序を守るためにルール(法)を作った。これが「国」であると思っている。しかし、私達は、天皇や一部の為政者、権力者が仕切る、「国」をイメージしてしまうことがある。とくに戦時中では、政府や軍が主導して「臣民」作りを行ったのだから、その効果が絶大だったことは想像に難くない。天皇=国であり=神であると半ば強制的に国民に刷り込んだ結果、未来有望な若者が天皇万歳、日本国万歳といって死んでいった。非戦を訴えるなんてもってのほかだ。人の集まりであったはずの国が、「御守りする」ものになり、人を戦地に送り込むという時代がかつてあったのである。

^では今、国会で論議されている教育基本法に「愛国心」を導入する、つまり成績表において愛国心を判断するといったことの意図は何なのだろうか。現在でも全国各地で愛国心の度合を判断していると思われる項目が成績表に記載されているといった小学校がいくつもある。前述した通り、「愛国心」、または「国」の捉え方が人それぞれなのに、その有無や程度が正確に判断できるものなのか。「愛国心」の欄が△の生徒は、◎にするためにどんなことをすればよいのか。また、日本よりスウェーデンが好きな生徒はもちろん△に甘んじなければならないのだろうか。私は国がこういった動きをすることに高い危険性を感じる。本当に、「生まれ育った国や文化を大切に思う心を育てる」ことが目的であるならば、それを法に組み込んで強制する必要はないし、東京都の教職員が国歌斉唱や国旗掲揚の起立をしなかったことで懲戒免職処分を受けたことをみても、この一連の流れが、国家、国粋主義の傾向と全く関係がないと楽観視はできないと思う。

^私は、オリンピックや世界陸上、W杯で日本代表選手が活躍するとうれしいし、応援したくなる。しかし、これはあくまで愛郷心という意味での愛国心であり、日本国に対しての忠誠心に従っているわけではない。愛国心を叫ぶ人は、どれだけ自分が国に忠誠を誓っているかを誇示し、そうでない人や、他国を排他的に扱う傾向が強いように思える。しかし、真の愛国心のあり方とは、他国を排他的に扱うことでもなければ、国に忠誠を誓い、盲目的に正当化するものでもなく、その人なりの仕方で自国や他国(他国も尊重すべき国だから)を大切に思う気持ちを持つことだと思う。

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