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2005年懸賞論文:入選作品 「家族と私」永浜実里さん

2006/06/08

家族と私

永浜 実里

^私は今、大学三年生です。この歳になってようやく自分を振り返る時期に来たような気がします。中学、高校の頃は勉強が忙しくて、ただがむしゃらに走っているだけで、自分をゆっくり見つめ直すことなんて出来る暇さえありませんでした。また、反抗期でもあり、自分の周りのものすべて壊したくなってしまって、不安定な時期でした。大学に入る前までは、家族と言えば、両親、血の繋がった姉妹としか考えられませんでした。

^しかし、大学に入って、たくさんの人と出会い、環境が変わることで、自分が他人から見られたときの立場で、感じ方、社会の中での位置づけなど、多くの自分を中心とする視野を持つことが出来ました。自分というあやふやなものに外部から作用することで、形にしていける、言い換えれば、外から私を知覚・認識・価値判断しない私はいないと思います。そんな中、私を私と呼ぶことが出来るために携わった人たちを、家族と言えるのではないかと考えるようになったのです。

^これまでは、私が生活していくために養ってくれている人たちを家族としてきました。しかし、それは習慣であって、正しい判断があって手続きを踏んで成り立っていることではないため、壊すことが出来ます。例えば、血が繋がっているだけの遠い親戚は、家族とは言いがたいです。私という一個人ですが、環境によって役割も変わり、その環境にそれぞれ家族と呼ぶべき人々がいます。教授、バイトの先輩、親友、と普段は言われるべき人です。自分が自分らしく生きていく為に、アドバイスをしてくださったり、正しい道標を参考として提示してくださったり、そしてなによりも私の成長を暖かく見守ってくださいます。私は、今まで人から拒絶されたり、したりしてきました。私は一人で生きていけると信じてきました。

^しかし、ずっと会ってないのに、少ししか話したことがないのに、私を見つけては、話しかけてくださったり、手を振って下さったりしてもらいました。私は、自分はなんて愚かだったのだろうと呪いました。こんなに私のことを気にかけてくださる人がいるのに、自分は自分の感情のままに、自分の勝手な判断で人を評価し、自分は所詮このように思われているのだと言い聞かせていたことが恥ずかしくてなりませんでした。強い自分でいたはずが、ただ殻を作って守ってきただけでした。

^自分のことなんて、ましてや他人のことなんて完全に分かる日なんて来ませんが、人は自分の為だけでなく、他人にも優しくできます、他人の為に本気で涙を流すことが出来ます。瞳を閉じれば家族と呼ぶべき人々が立ち現れ、優しく微笑んでくださいます。私も、もう、優しさを貰うだけでなく、優しさを返し、その人にとって家族としてありたいと願わずにはいられません。私の荒削りな心を真摯に受け止めて、見守ってくださっているそんな人を失いたくないです。

^ですが、そういう日が必ず来ます。そして、いつもどうして失ってから、もうあの時に帰れないと分かってから、その人がどんな思いで私に対して接してきたのかを、どんなに自分のことを考えて言ってくれたのかを分かってから、その時流れた時間がどれほど大切だったかを分かるのでしょう。途中で気付いても、失ってからこそ初めて気付くことが断然多いです。もう一度会えたならどれほどいいのだろうと願わずにはいられません。しかし、たとえ会えなくても、その人達のその大きな暖かさを感じながら、それに応えるように生きることで少しは恩返しになっていると、今では前向きに考えています。

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