2009年懸賞エッセイ:入選作品 「仕事と私」野本康彦さん
2010/05/23
「仕事と私」 生き甲斐
LJ060552 野本 康彦
教師になること。それが私の夢だった。しかし、いざ就職となったとき迷いが生じた。
私は就活も行った。実家が母子家庭だからだ。そこで思わず大手企業に内定したのだ。
実名は出さないが、煙草の専売を行う会社だ。そして、その会社は亡父の勤めていた
会社だった。コネはない。しかし、志望動機は父の背中だった。
父の懸命に働く姿に憧れもあった。父のように充実した会社員生活が送れるのなら。
そう思った。父の遺志を継ぐんだ。そんな思いもあった。運命を感じもした。しかし……。
教師を目指したのには理由があった。私は、双子の兄と共に脳性麻痺という障害を持つ
身体障害者で、母子家庭に育った。そのため個性というものを意識する機会が多かっ
た。世の中には色々な人間がいる。誰にでも良い所がある。自身の体験から得たことを
活かし、教師になってそう教えたかったのだ。
しかし、教育実習のときに見た職員室の様子に疑問符をつきつけられた。個人の裁量に
任せられているといえば聞こえはよいが、学校現場に、協力して何かをやるという雰囲気
はなかった。一方、企業の研修には協調の精神があった。また、私の経歴や障害のこと
を打ち明けても、温かい反応を返して頂いた。
教師になれば、初めから一人前の先生として生徒と対峙しなければならない。書類作成
に、校務分掌にと様々な仕事に忙殺される。土日もない。保護者や同僚と上手くやって
いけるかも心許ない。そんな迷いが生じた。
しかし、迷った末、教師を選んだ。自分の初心を信じた。今までの境遇も含めて、やはり
教師になって伝えたいこと、伝えねばならないことがあった。母や兄のこともあった。職場
の雰囲気など自分でつくるものだ。
「わざわざ負け組を選ぶんだね」
そう言う人もいた。他人からはそう見えるのだろう。しかし、周りにいる人達への恩返し、
自分をここまで育ててくれた親や先生達のこと、仕事のやりがい、といったことを考えると
教師以上に魅力のある仕事などなかった。
大企業で給与が高くとも、その仕事が好きでなければ、仕事が収入を得るための「手段」
となってしまう。そして、その収入を元に充実感や満足感は得るため、何らかの消費行動
をしなければならない。しかし、仕事自体にやりがいがあれば、生きがいや楽しみを与え
てもらった上に、給与までいただけるのだ。
人生の大半の時間を費やす仕事にはそれ自体の魅力も大切だと思った。そして、教育
実習のときに過ごした生徒との日々は私の大学生活の中で最も充実した日々だった。
ネームバリューや給与、福利厚生といった客観的なものさしでは測ることのできない価値
がそこにはあるように思った。
この選択を振り返って、後悔することもあるかもしれない。けれども、そうならないよう、
常に「今」を充実させ、働くこと自体に喜びを見い出すことのできる人間でありたい。