2009年懸賞エッセイ:奨励賞作品 「仕事と私」森田修示さん
2010/05/23
「仕事と私」
人文学部 文化学科 昭和49年 卒業(2回生)
大学院 経済学研究科 昭和54年 博士課程修了
LC 700059森田修示
「落ちるに決まっているから、学士入学したらどうだ。」
教務部長されていた恩師余宮道徳先生からこんこんと諭された。
「いや何とか合格したいんです。」
「どう転んでも無理だよ。」
当時、福岡大学の人文学部には大学院がまだ併設されておらず、やむなく経済学
研究科への進学を考えていた。当然経済学の知識は皆無に等しい。経済学部の
3年生に学士入学し、卒業後に大学院進学を目指すのが一般的な筋道であった。
「先生!じゃ合格したらどうしますか?」
先生は苦笑いしながら私の無謀なチャレンジを見守って下さった。
秋の大学院入試では、いとも簡単に不合格。残念ながら入試問題に全く手が出ない。
3月の春の入試を目指して猛勉強を始めた。友人と居酒屋で飲んでも、麻雀の卓を
囲んだ後でもコタツ兼学習机に向かう日々が続いた。元来のんきな性格であることと、
就職先も確保していたから悲壮感はない。
入試は専門分野から出題された小論文と英文和訳の二つだった。英文の量の多さに
翻訳が全く追いつかない。力が足りないせいである。合格発表を見るまでもなく下宿を
引き払い田舎に帰る荷物をまとめた。僅かばかりの荷物をトラックに積み自宅に運び
終えた時、電話が鳴った。
「森田君!どうも合格したみたいだよ。」
「うそでしょ。先輩、担がないで下さい。」
「嘘と思うなら掲示板を見に来いよ。」
人文学部文化学科の一期生で福大の事務局に勤めておられる吉松先輩からの電話
だった。
こうして大学院の研究科で人類学とは畑違いの農業経済学や統計学を学ぶことと
なった。どうにか修士課程は無事に修了し、そのまま博士課程に進学。それでも地に
足がついていないせいか、今度は外国で学ぶことを目論んだ。博士課程の1年次に
ヒマラヤのネパール王国で農産物市場調査の職を得た。この時も余宮先生は漂流し
続け、漂着先も分からない私を折に触れ励まして下さった。お話を伺うのは、決まって
六本松にある先生の行きつけの小さな居酒屋であった。
大学院を卒業して30年余り。子供達も既に成人し東京に住んでいる。妻は6年前48歳
の若さで突然他界した。今一人暮らしの身である。もう何も失うモノもなく2年半前に
こわれて高校の校長に就任。365日ほとんど休むことなく教育活動に邁進している。
校長就任後しばらくして先生のもとにご挨拶に伺った。七隈辺りも大きく変貌しており、
古い記憶を頼りにご自宅を探し当てるのは大変だった。先生は、
「おー、来たか。」
学生時代とお変わりはなかった。校長になった旨、報告すると
「そうか、もうそろそろと思っていたよ。奥さん残念だったね。」
長い歳月が一瞬に逆戻りし、熱いモノが流れていく。人生と仕事は恩師の温かい導きに
よるものである。どんな苦境・逆境にも耐える力を頂いた。仕事は人生を生きる術にしか
過ぎないが、生き様を若い人々に伝える事も今の私の仕事である。