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「養老「ヒト学」と文化人類学」白川 琢磨先生~“Novis2004”より~

2004/04/27

養老「ヒト学」と文化人類学 -文化人類学 白川 琢磨-
養老孟司「カミとヒトの解剖学」(ちくま学芸文庫、2002年)

^おなじみの解剖学者、養老先生の宗教論集である。
いつもながら論旨はすこぶる明快である。明快である理由は先生の考察の原点が常にヒトという身体にあるからである。もちろん脳も身体の一部である。人類学ではこの能が作り出す世界を文化と呼ぶ。宗教は重要な文化の一部分である。ところがこの宗教、鰯の頭からアッラーの神まであらゆるものが含まれてきて極めて厄介である。中でも頭を悩ませるのが「霊魂」である。常に死体を扱う養老「ヒト学」は明快で、生きている身体-死体=「霊魂」である。霊魂が身体を離れた時に人が「死ぬ」ことには文化人類学者も宗教学者も同意せざるを得ない。逆に言えば身体は死んでも、霊魂は死なない「らしい」。どころか、きちんと「あの世」に行かないでその辺をウロウロしていて写真に撮られたり(心霊写真)、他人の身体に入ってみたり(シャマニズム)する霊魂もある「らしい」。

^大体この辺りで「科学的」な学生は逆ギレする。私の授業でもそうである。そんな実体のない非科学的な霊魂などというものを扱うのはやめろ、もし在るというのならちゃんと目の前に出してみろというわけである。養老先生は直ちにこう返す。「それなら君の言う『科学』というものを目の前に出してみなさい。目の前に出してくれなきゃ『科学』の存在を私は信じない」。

^しかし付け加えておきたい。逆ギレする学生は見込みがある。私は大いに歓迎したい。授業でそうした学生を集めて英国の人類学者、ロドニー・ニーダムの“Belief,Language,and Experience”を、残念だが翻訳がないので原文を読んでいきたいのである。最後に「養老『ヒト学』も文化人類学もヒトの脳が作り出す世界である」という宿題を出しておきたい。この間に答えることがどんな分野にしろ、人文科学の営みなのである。

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