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2008年懸賞論文:入選作品 「十年後の私」矢野京子さん

2008/07/29

十年後の私

矢野 京子

10年後の私に思いをはせる前に、今現在の私が10年前岐路に立ったときにこうありたいと願った姿になっているかどうかを振り返りたい。

^職場の片隅にある小さな窓から空を見上げ、心の中でつぶやいた。「これからあの青空を手に入れるんだ。」今から10年前の冬のことである。大学卒業後、フルタイムで働いてきた。その間結婚し、2児にも恵まれ、仕事にもやりがいを感じてはいた。だが、ふと立ち止まって毎日の生活を顧みると、何か大事なものを置き去りにしているような気がした。毎朝7時ごろ小学生と保育園児の子どもを起こし、弁当箱につめた朝ごはんを持たせて実家に送り届け、登校、登園を親に頼んで仕事に向かった。保育園が終わる6時までに下の子をむかえにいけることはまれで、親に頼んで実家に連れ帰ってもらうことがほとんどだった。子どもたちと家に帰り着いて、寝せつけるまでの2~3時間で夕食、入浴、次の日の準備をばたばたと終え、布団にもぐりこむ。あっという間に朝が明け、また同じことを繰り返す。そんな日々に私の体が悲鳴を上げつつあった。ある日、長男が描いた海の中で魚が泳いでいる絵を見て息を呑んだ。海も魚も、よどんだような暗い色で乱雑に描かれていた。それはなぜか彼が人から何か尋ねられたとき、まず母親の顔をうかがってから答えるときの自信なさげな表情を思い起こさせた。子どもも声に出さなくても悲鳴を上げているのかもしれない。職場で私の代わりになる人はいても親の代わりになるものはいない。親としては当たり前のことだろうけれど、それまでの自分にはしっかりできていなかった家族を支える人間になろう。家族の応援団長になろう、と思った。年が明けた春、私は職場を去った。

^経済が低迷していた時期だったので、私の退職を聞いた周囲の人からは「この不況下でもったいない。」とよく言われた。私はそんな言葉を風に流し、青空の下で子どもと遊び、日の光を浴びて自転車をこぎ、徐々に元気になっていった。3年ほどたったある日、長男が学校で描いたパンジーの絵を一目見て心を奪われた。薄紫色のその花は画用紙いっぱいに誇らしげに咲いていた。再出発をして以来家族とともに過ごした日々の思い出が、その絵にぎゅっと詰まっているようだった。
^あの日から10年後の今、子どもが手を離れてきたのでパートではあるが、また仕事をしている。介護関係で、以前の仕事とは異なるものの、「応援をする」という点においてはあの時の決意に共通するものがある。さて、10年後といえば、大半の人にとって定年を迎える年齢になる。この先元気だったら、10年といわず、20年先、いや、行き着くところまでこの分野の仕事に携わりたい。たとえ一人の人に対してでも、支えることのできる人間でありたいと思うからである。「支える」というのはおこがましいかもしれない。家族がいたから料理をして自分も食べてこられ、苦手な掃除もして環境が整えられ、何より楽しく過ごしてこられた。今の私には介護を受けていただく人がいて、その人の存在が希望のともし火となって生きる力をいただいている。そのご恩返しに働かせてもらっているのだと思う。あの日と同じような青空が広がるきょう、私はまた自転車をこいで私を待っている人のところに行く。

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