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2006年懸賞論文:特選作品 「社会と私」藤野和恵さん

2007/03/23

社会と私

藤野 和恵

^学生の頃は、毎日学校へ通ってその日の授業や課題、クラブ活動をこなすことこそが義務だと信じており、自分と社会のつながりについて深く考えたことはなかったように思う。
社会人になってからも、最初は仕事を覚えることで必死だった。給料をもらうこと―それに見合った働きを果たして自分がしているのかと考え出したのは数年経ってからのことだったかも知れない。仕事とは自分が経済的に自立するためだけのものではなく、それによって社会の役に立たなくてはならない。そのことに気付いたのはほんの数年前、辛い一時期を過ごしてからのことではなかったか。

^就いた仕事にはとにかくがむしゃらに取り組んだ。しかし留学して得た修士号を活かそうと転職した先で、新しい仕事を完璧にこなすべく力を入れ過ぎた結果、身体を壊して退職せざるを得なくなったのだ。それからである、私の内面での闘いが始まったのは。病床に臥せているうちに外へ出るのはおろか、人と話すことさえ億劫になり、次第に身体だけでなく精神的にも病んでいった。仕事どころか家事の手伝いすらろくにできなかった。自分がこんなにも「生産的でない」ことが嫌でたまらず、このまま生きていてよいのかということばかり毎日考えていた。働く人たちが ― これまで何とも思っていなかった肉体労働の人やアルバイトの人たちまでも ― すべてが偉大に見える。本当の意味で仕事や社会の役に立つことの貴さを知ったのだ。たまに街へ出てすれ違う宅配便の配達員、ビルの窓を掃除する人、羨望の眼差しで眺めては、いつか自分もまた、という思いを強くしていった。

^現在私は週に三日の人工透析により社会に生かしてもらっている。時間の融通が利くようにと始めた翻訳の仕事が、今では天職といえるほど好きだ。社会の中で生きている自分の存在が明らかになった今、限られた時間の中で自分も周囲の役に立ちたいとボランティア活動にも力を入れるようになった。先日、大学時代のゼミの恩師と久しぶりに電話で話す機会を得、ここ数年の一部始終を話すと、先生は静かにこう言われた。「楽しめる仕事にたどり着けたようでよかった。あなたが大変そうな仕事で頑張っているのを見て心配していた。好きな仕事をしなさい。それがあなた自身のためでもあり、社会のためにもなるのだから」

^先生の意図をこう解釈する。自分が幸せな気持ちで打ち込めることで社会の役に立つこと、それこそが一社会人としての全うな生き方である、と。人より限られた時間でボランティアなんて、とよく言われるが、自分のできる範囲で周囲の役に立ちたいと今、強く思う。人は社会に生かされ、社会のために働いて生きてゆく。不本意な数年間であったが、働くことの本当の意味、社会と自分のつながり、そして働く姿勢のあり方を教えられた。これから社会へ出る若い人たちにも労働の中に喜びを見つけ、幸せに生活しながら社会の歯車となって欲しいと願う。

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