2005年懸賞論文:特選作品 「私の母はここにいた 」原田博美さん
2006/06/08
私の母はここにいた
原田 博美
^家族を「親子などと生活をともにする集団」と定義すると、私に家族はいないことになる。
しかし、私には家族がいる。私の家族は、伯父、伯母、従兄弟が二人である。普通は親戚と呼ばれる彼らが、何故私の家族なのだろう。
^私は十一歳の時、病気で父を亡くした。私には祖父、祖母、兄弟はいなかったので、父を亡くして以来、肉親と呼べる人がいなかった。しかし、今の家族が私を迎え入れてくれたので、私は家族を手に入れることができたのである。
^私には母がいない。私が幼少の頃、父が母と離婚して以来、私の中で母という人物は消えてしまった。もう今では顔を思い出すこともできない。だが、母がいないということが始終私を悩ませた。両親がいて、祖父母がいて、兄弟がいる。そんな理想的な家族に憧れていた。しかし、男手一つで私を育ててくれた父の前で、「お母さんが欲しい」なんて口が裂けても言えなかった。父も私の気持ちに気付いていただろう。しかし、私と父の間で母について話したことは無い。「お母さんの話をしたら、お父さんは悲しむかな」と私は父の気持ちを考え、父の前で母の話は決してしなかった。
^母の日、授業参観、このような行事は私の胸を痛めつけた。母がいない時もそうだったが、父を亡くしてからは、ますます、このような行事が嫌で嫌でたまらなかった。しかし、私を助けてくれた人がいる。私の伯母だった。大嫌いだった行事にも伯母は大変活躍してくれた。母の日には伯母の絵を描いた。授業参観には伯母が来る前からソワソワしていた。私は嬉しかった。伯母が私を自分の娘のように扱ってくれるのが嬉しかった。私の母はここにいた。
^私を娘として扱ってくれたのは、伯母だけではなかった。伯父も、私のことを人前では「娘」と呼んでくれる。従兄弟の兄二人も私を「妹」として扱ってくれる。私は家族が好きだった。家族がこんなにいいものだとは思わなかった。家族によって私は孤独になり、家族によって私は救われた。親子、兄弟ではないけれど、私にはこんなにも暖かい家族がいてくれる。それだけで私は幸せだ。
^今、私には一つの課題がある。それは、伯母を「お母さん」と呼ぶことだ。伯父のことは、少し恥ずかしいが、「パパ」と呼ぶ。従兄弟二人のことを「お兄ちゃん」と呼ぶ。しかし、伯母は「おばちゃん」と呼んでいる。小さい頃からそう呼んでいるので今更「お母さん」と呼ぶのは少し照れくさい。でもいつか必ず「お母さん」と呼んであげたい。
^私は家族、特に母に対してすごくコンプレックスがあった。しかし、ペットを家族とする人がいるように、家族の形態は様々である。
私の家の家族構成は複雑だが、それでも私の大好きな家族なのである。家族がいてくれることを、こんなに幸せだと思ったことは無い。