HOME > お知らせ >  2008年懸賞論文:特選作品 「ふるさと」今井宏さん

2008年懸賞論文:特選作品 「ふるさと」今井宏さん

2008/07/29

ふるさと

今井 宏昌

^「ふるさと」という言葉は、単に出身地としての土地そのものを指してはいない。辞書を引いてみると、そこには「その人が短からぬ歳月、住んでいる(住んだことのある)土地」という意味のほかに、「狭義では、精神形成期に親・同胞と共に住んだ土地を指す」とある(『新明解国語辞典 第四版』)。とすれば、私が生まれ育った大分県日田郡天瀬町、そして、現在学生として過ごしている福岡県福岡市城南区は、やはり私にとっての「ふるさと」ということになるだろう。

^しかし、その第一の「ふるさと」である大分県日田郡天瀬町は、もうこの世界のどこにも存在してはいない。というのも、2005年3月22日の市町村合併により、天瀬町は他の日田郡の町村とともに日田市へと編入され、行政地域としては消滅してしまったからである。このことは、同じ時期に日田市内の高校を卒業し、福岡へと「上京」してきた私にとって、ある種象徴的な出来事であったように思う。

^確かに厳密に言えば、私の「ふるさと」天瀬町は未だそこに存在し、私をあたたかく迎え入れてくれているのかもしれない。しかし、ここで私の「ふるさと」意識というものを考えた場合、そこには、行政区分である市町村の合併と消滅が、とてつもなく大きな違和感として存在しているのである。

例えば、自己紹介をしたり、「どこの人?」と問いかけられたりなどしたとき、私は「大分の日田出身です」という風な言い方をする。しかし「大分の日田」だけで、私のイメージする「ふるさと」をはっきりと言い表せているわけではなく、本来ならば、「その東部の天瀬町です」というところである。しかし、このとき私が頭の中でイメージしている「天瀬町」は、あくまでも自分が幼少期・少年期を過ごした「日田郡天瀬町」であり、現在の「日田市天瀬町」ではない。約18年間「日田郡」で育ってきた私の中では、「日田市」は「日田郡」とはまた違ったものとして認識されており、さらに言えば、「日田郡」と「日田市」は、「日田」という小さな地域世界における「田舎と都会」といったような、二項対立的な相反する二つの概念として存在しているのである。こうした「ふるさと」意識をもつ私にとって、天瀬町が日田市の一部として存在しているという現在的な状況は、やはり気持ちの良いものではなく、奇妙な違和感、そしてある種の喪失感を抱かざるを得ない。

とはいえ、去年の夏に帰省したときにも、我が「ふるさと」天瀬町は、ほとんどその容姿を変えることなく私を迎え入れてくれた。日田市になったといっても、左右に聳え立つ山々は健在であるし、私が物心つくにつれて汚くなっていった川も、依然として穏やかに流れている。しかし、今度教育実習をすることになった母校の中学校にあいさつにうかがった際、そこにいる後輩たちの顔をみて、ふと「おそらくこの生徒たちは合併後に入学した子たちなんだよなぁ」と思ってしまい、心なしか昔より静かになった蝉の声を聞きながら、一抹のさびしさとともに、時の流れのはやさを実感したのであった。

最新のニュース

トップへ戻る