平成24年度懸賞論文入選作品発表
2013/04/07
2012年度の懸賞論文の入選作品を発表いたします。今年は選考の結果、入選作品に野本さんが選ばれました。おめでとうございます!
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入選:「世界と私」 LJ060552 野本康彦氏
世界という言葉から私が思い浮かべるのは、生徒の将来である。高校の国語教師という身からすると、自身が海外へと出かける機会は、悲しいかな、職場の慰安旅行か修学旅行の引率といったところが関の山である。語学を駆使し、諸外国のビジネスマンと対峙する…といった自己の姿はなかなか思い浮かべづらい。しかし、生徒の中には文学部や外国語学部を志望している者も少なく、本校の卒業生の中には、大学時代に留学をしたり、実際に海外へと赴く企業に就職し、日々第一線で活躍していらっしゃる方もいる。生徒たちの輝かしい将来を通して、私は「世界」と繋がっているのである。
考えてみると、「世界」という言葉は「見ている世界が狭い」とか、「あの人は独特な世界を持っている」といった使われ方もする。辞書には「生活の場。世間」「特定のものの限られた範囲」「何らかの秩序を持った同類のものの集まり」といった語義も見られる。「海外」と言い換えてもいいような、広く開放的な語感を持った使われ方をすると同時に、「生活の場」「特定」「限られた」「同類」といった辞書の語義にも見られるような閉鎖的で限定的な語感で用いられることもあるということだろう。
私にとって、「世界」という言葉はどのような意味を持つのだろうか。公立高校の教員という職業は。地域や接する人間の年齢(生徒が主である)は「特定」の「限られた」ものである。そう考えると、私は狭い「世界」に生きているように思える。しかしながら、生徒や生徒の将来を通し、間接的に多様な職種や人々と関わっていると考えれば、私の関わっている「世界」は広く開け放たれたものであろう。
今思うと、大学で学んだことや過ごした時間もそのようなものであった気がする。私は福岡大学という県外の大学の日本語日本文学科に在籍した。故郷を外側から眺められる土地に身を置くと同時に、日本語と日本文学という自身と地続きでアイデンティティを担っているものを学んだのである。それは、自己や自己の立ち居地を見つめなおし、考える作業の繰り返しであった。自己を見つめる際には、他者の存在が必要となる。他者という自己に対するものがなければ、自己の境界線が曖昧なものとなる。大学での四年間もまた、一方では故郷から離れた地で自身のアイデンティティを外から見つめると同時に、自己のアイデンティティを形成している事柄を学んだ。その中で自分の属する領域が間接的に自身とは異なる領域と関わっているということに気づいた四年間であった。
自身の立ち居地にどっしりと足を据え、そこから見える世界や自己の周囲の領域と向き合いながらも、間接的に他者のいる様々な「世界」と関わり、自己のいる世界や他者のいる世界について考え続ける。県外の大学で日本語日本文学を学び、自身の生まれ育った土地に戻って高校の国語教師として生きる私は、これからもそうやって広い「世界」と対峙していきたい。
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<入賞のコメント>
入選に選んでいただき、ありがとうございます。生徒に言っていることと重なるのですが、改めて「文章を書くことは自己発見」だと思いました。このようなテーマ、機会を設けていただいたおかげで改めて自身と向き合うことができました。この懸賞論文は、自身と向き合う機会であり、卒業生にとっては、過去に自身を支えてくれた人たちとのつながりを再確認できる場だと思います。みなさんもふるって応募して下さい。
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入賞者の方には、賞状と記念品を発送させていただきました。2013年度も実施予定ですので、学生の方、大学院生の方、卒業生の方はぜひご応募ください。
福岡大学人文学部同窓会